アメリカよさこい日記 / Fieldnote of Yosakoi workshop

2021年10月9日土曜日、天候は曇り。アメリカ合衆国のニューヨーク州、マンハッタン。文化人類学を学ぶ学生として、私は初めてのフィールド調査を行った。調査対象は日本の伝統舞踊、「よさこい」ダンスのワークショップである。世界中のエンターテイメントが集まる繁華街・ミッドタウン、50th Streetで行われるこのワークショップだが、土曜日の11時から13時という、まだ街が平日の疲れから目覚め切っていない時間帯に行われる。そのため私が練習場所に到着したころはまだ人影はほとんどいなかった。閑散とした街を抜けて練習場所へ近づくと、若いアジア人の女性がそこに居た。彼女は私に気が付くとケータイから目を離し、ペコリと礼儀正しい会釈をした。「あ、おはようございます。今日もよろしくお願いしますッス」。彼女はAちゃん。ピンク色のネイルをし、蝶々のピアスを耳元で揺らす彼女は、私と二人でこのワークショップを主催している、17歳の日系アメリカ人ダンサーである。

私は文化を通してアメリカの若者に日本を理解してもらうというテーマを持ってニューヨークに来た。3ヶ月前のうだるような夏、13時間のフライトを経て、時差ぼけとコロナ対策のマスクの息苦しさでフラフラしながらも、マンハッタンの空港に降り立った。初週から騒然とするタイムズスクエアでいきなり置き引きに遭い、ニューヨークの地下鉄を何回も乗り間違え、「ああ、こんなところで一人でよさこいチーム作れるかしらん」と不安になったものだった。英語も怪しいのに。しかし足踏みしていても始まらないということで、生活が整うとすぐに日本関連のイベントに問い合わせを送り、よさこいのパフォーマンスを打ち始めた。並行して、現地のNPO団体の助けを借りてワークショップを開催した。そんな折、8月末にダウンタウンの日本祭りで踊った時に出会ったのがAちゃんだった。

着物姿で友人と日本祭りに来ていた彼女は、公演が終わった後、私に近づき、「あの、一緒に写真撮ってもらってもいいッスか」積極的に声をかけてくれた。「もし興味があったら教えることもできるけど、どう?」と誘ったところ、「あ、はい、たぶん行きます」とアッサリ答え、翌週、本当にワークショップに参加してくれたのだった。講習会で話したところ、高校でダンスの専門校に通っており、ニューヨーク生まれニューヨーク育ちだが、日本語の補習校に通って日英バイリンガルに育ったということがわかった。彼女が居たら指導の面で非常に助かる、と思い「一緒によさこいチームを作ってみない?」と誘ったところ「はいッス」と二つ返事で了承してくれ、以来二人三脚でよさこいチームを運営している。最初は大人びたクールな子だな、と思っていたが、真顔で冗談をよく言ったり、見かけは平静としながらも毎週きちんと指導に関わってくれる熱い面を持っていたりと、一緒に練習を重ねるごとにお茶目な一面を見せてくれた。「どうしてよさこいに参加してくれたの?」と聞くと、「日本の伝統と現代の踊りがミックスされてるものとか、好きなんスよね」。「それに、自分の文化的なアイデンティティを思い出させてくれるものと接していたいんス」と、彼女の性格をよく表す、落ち着いたアルトの声で話してくれた。

10時にミッドタウンの路上でAちゃんと落ち合い、ビルの窓を鏡の代わりにしながらその日の振付の予習をする。本当はスタジオをきちんと借りて練習を行いたいが、すべての物価が狂気的に高いマンハッタンではなかなか有料のスタジオを借りるのも難しい。せめて10人メンバーが居れば小さいスタジオが借りられるので、冬が本格的に始まる前にその10人を見つけるのが当座の目標である。毎週少しずつ、確実に寒くなってきている。タイムリミットは近いが、今は目の前の参加者に楽しんでもらうことに集中するほかない。

11時ごろになって街もにぎわい始めた。参加者もちらほらと現れ始める。このごろいつも最初に現れるのはトルコ人のM氏だ。190cmはあるであろう大柄の彼と並ぶと私とAちゃんは小人のようだ。彼はあまりにこやかな方ではないが、毎週小さなチョコレートや缶コーヒーを我々に差し入れることで親愛を示してくれる。2か月前にニューヨークに来たばかりで、馴染めるコミュニティが欲しいのだと思う。踊りはあまり上手くないが、声をかけるといつも「大丈夫、楽しんでる」と強張った顔で答えてくれる。6名ほどが集まるとAちゃんに主導してもらってストレッチを始める。踊りが初心者の人がほとんどだから、丁寧に体をほぐしていく。Targetで買った小型のスピーカーでBilly EilishやYORUSHIKAなど流行りのホップスを流しながら、Aちゃんが英語で指示を出す。「Right shoulder. Goes front, back, front…」。ふと後ろを見ると中国人のSちゃんが全然違う動きを元気にやっているが、あまりに笑顔で楽しそうなので声をかけかねているうちに次の動きへ行ってしまう。ストレッチの間に遅れた参加者がそそくさと加わり、今回は12名での練習となった。

ワークショップでは必ず踊り始める前に、よさこいの歴史を私から簡単に説明する。常連にとっては何回も聞いた説明なので、聞き飽きないように質問をこちらから振ったりもする。「What do you know about Yosakoi, Paula?」スペイン人のPちゃんは建築科の博士課程に通うにこやかで人当たりの良い女性だ。話していてよく冗談を言い、ラテン系の気持ちよい笑顔でコロコロ笑う。日本に2年間留学していた彼女は「日本との文化的な関わりを断ちたくないの」と、青い瞳を輝かせてとても熱心に参加してくれている。Pちゃんが一生懸命知っていることを話してくれるのを他の参加者もなんとなく聞き、私がそれを引き取って歴史や特徴、踊りに使われる道具などを説明する。

よさこいは高知県という日本の南にある県で1954年に発明された踊りだ。踊り子の総数は200万人ほどに登ると言われ、日本各地でコンペ形式の専門の祭りが開かれている。この踊りを定義しているものは2つある。1つは鳴子というカスタネットのような楽器を使うことだ。鳴子は元々は農具であり、大きな音を出して田んぼに近寄る鳥を追い払うために使われていた。この楽器はよさこいがプロのダンサーのための踊りではなく、農民のような一般の民衆のための踊りであることを象徴している。よさこいでは踊りながらこの楽器を打ち鳴らす。よさこいの2つ目の特徴は民謡を入れていることだ。各地のよさこい祭りの運営委員会は各チームに対して、各々が活動している地元の民謡、または祭りの開催地の地元の民謡を作品の中に入れ込むように要請している。これはよさこいが元々第二次世界大戦後の地域振興のために発明された踊りであるためだ。よさこいチームは有力なチームになればなるほど地域振興という役目を背負って活動していることが多く、そのために各コミュニティのアイデンティティを強化したり、若い世代に地元の歴史を教育をしたりする役目を担っている。鳴子を使うことと民謡を曲の一部に入れること、このたった2つの条件以外には振付にも音楽にも全く制約がない。この柔軟さのおかげで、1970年代以降、よさこいにはサンバ、ジャズダンス、ヒップホップなどの要素が次々に足されて行き、オリジナリティある作品が次々に生み出された。また現代舞踊の要素を取り入れることで若者の人気を集め、少子化の進む地方の町から始まった踊りであるにも関わらず、県境を越えて東京、北海道、名古屋、果ては海外まで広く拡散した踊りとなった。

今回のワークショップで教える作品は二つ。1954年に最初に作られた古典的な踊りと、2017年に作られた現代風の作品で、両方を教えることでよさこいの歴史の変遷が踊って感じられるようにした。まずは鳴子を配っていく。皆ちょっと緊張したような顔をしていることが多いので、この時に一人ひとりと目を合わせてニッコリ笑いかけるようにする。初めて踊るのは怖いだろうに、来てくれたことに謝意を示すのだ。鳴子を配り終えると早速、真剣な顔で鳴子を逆さまに持っている人が居たり、左右にシェイクするように鳴らしている人が居たりするので、正しい持ち方と鳴らし方を教えていく。このワークショップでもはや常連になったアメリカ人のJくんも、最初は鳴子の鳴らし方で苦労していた一人だ。肩まで伸ばした金髪を一つにくくり、茶色の目にかかる長い前髪をかき上げるのが癖の彼は、幼少からドラムを演奏しており、専門の音楽教育を受けて時たまコンサートにも出るほとんどプロのドラマーだ。15歳から勉強しているという流暢な日本語で彼は言う。「俺にとって、打楽器って手首を使って鳴らすものだったのね?でも鳴子は手首をほとんど動かさずに、指と肩の動きだけで鳴らすでしょ。だから最初はすごく鳴らしにくかったね。」Jくんは同じくミュージシャンであるNちゃんと共にリズム感がとてもいいので、振付をカウントに分割するのを手伝ってくれている。

鳴子の鳴らし方を説明したあとはいよいよ踊りを教えていく。今回教える作品は2つある。1つは1950年代の伝統的な作品から、そしてもう一つは2010年代の現代作品からだ。伝統的な作品の方は「よさこい鳴子踊り」という、よさこいとして一番最初に作曲された曲で、現代のよさこいの下地になった、よさこいの古典な作品だ。もう一つは「和っしょい(わっしょい)」という作品で、「よさこい鳴子踊り」にジャズのアレンジを加え、踊りもヒップホップとジャズダンス風にアレンジされた、現代よさこいの典型とも言える作品である。それぞれに1時間ずつかけて教える。

ミートアップ終了後も意欲のあるメンバーはその場に残って前回教えた振付を復習したり、私から振付の個別指導を行ったりする。今回はスペイン人のPちゃんと中国人のSちゃんが授業後に残った。Pちゃんは言葉から振付を解釈するのが上手く、家でも練習するので振付の復習をすると、一時的に忘れていてもすぐに踊れるようになる。Sちゃんは見て理解するのがあまり得意ではないが、直接手や腕を取って動かして指導することで振付を理解する。PちゃんとSちゃんはチームに参加したいと言ってくれており、運営方法についても積極的に意見を出してくれる。冬季のスタジオの問題についても二人は一緒に頭を悩ませてくれて、Pちゃんは自身の通うJapan Societyに教室を貸してくれないか頼んでくれたり、Sちゃんは候補のスタジオを一緒に下見しに行ってくれたりと、とても積極的にチームに関わろうとしてくれている。彼女たちは「ひなのがチームを立ち上げたら入るよ。とても応援してるよ」と笑顔で元気づけてくれた。

ワークショップが始まって2ヶ月が経った。まだまだ7人ほどの小さなグループだが、メンバーが互いにアイデアを出し合い、チームとしての結束力も高まってきた。このままチームになれたらいいな、と思う。

 

Fieldnote of Yosakoi workshop

 

Saturday, October 9, 2021, it was cloudy weather. I went to a workshop on Yosakoi, a traditional Japanese dance, on 50th Street in Midtown. It was Saturday from 11 am to 1 pm, when the city still wore a sleepy atmosphere after the exhaustion of the weekdays. As I arrived at the workshop passing through the deserted streets, a young Asian woman, with pink nails and butterfly earrings swinging from her ears, looked away from her mobile phone and gave me a polite bow. “Uh, morning. Good to see you again.” Her name is Anna. She is a 17-year-old Japanese American dancer.

I met Anna when I threw the Yosakoi dance show in East Village at the end of summer. She wore a traditional Japanese cloth Kimono and came to the festivals with her friend. After my performance, she approached me and asked if she could take a photo with me. “I can teach you the dance if you are interested.” I asked her, and she quickly replied, “Oh, yeah, why not.” She was born and raised in New York but grew up bilingual in Japanese and English, attending a Japanese language school. Her backbone attracts me to scout her as an instructor. Since the first workshop, Anna and I have worked together to create a Yosakoi team in NY. “I wanted to be in contact with something that reminded me of my cultural identity,” she said in a calm alto voice.

At ten o’clock, one hour before the workshop, we started practicing on the street, using the window of the building as a mirror. Ideally, we’d like to dance indoor, but it’s hard to find a studio affordable for us in Manhattan, where everything is insanely expensive. We need at least ten members to rent a small studio, so our short-term goal is to find them before the winter comes.

Around 11 o’clock, the city starts to bustle. Participants begin to appear. The first person to show up these days is always Murat, a Turkish man of about 190cm, who makes Anna and I look like dwarfs standing by him. He is not a very sociable person, but he shows affection by bringing us small chocolates and canned coffee every week. He just came to New York two months ago and seemingly wants a community where he can fit in. Although he does not dance well, when I ask him if everything is okay, he always replies with a stiffened face, “I’m fine, I’m having fun.”

After Six people gathered, Anna started leading them in a stretching session, playing Billy Eilish on a small speaker she bought at Target. “Right shoulder. Goes front, back, front…”. I look behind me and see Sandy, a Chinese girl, doing something completely different, but she seems so happy and smiling that I can’t say anything to her. During the stretching, the late participants quickly joined in, and this time there were 12 of us.

Following the stretch, I briefly explained what Yosakoi is, its history and how to play the instruments made for the dance. Yosakoi is a dance invented in 1954 in Kochi prefecture in the south of Japan. The total number of dancers reaches to about 2 million, and the competition are held all over Japan. One characteristic of this dance is the use of castanet-like instruments called Naruko, which was originally a farming tool used to make a loud noise for scaring birds away from the rice fields. This instrument symbolizes that Yosakoi is not for professional dancers, but for ordinary people like farmers. Some of the participants struggled with the use of Naruko. One of them, who is a semi-professional drummer, says: “For me, percussion is something you play with your wrist, isn’t it? But with the Naruko you don’t move your wrist at all, you just use your fingers and shoulders. So, it was very difficult to play at first.”

We danced two kinds of pieces at the day. After the workshop, two girls of the group stayed at the place to review the choreography. They were very keen and talked a lot about how much fun they had. They smiled and said, “If Hinano-san makes a team, I will join. We support you very much”, they smiled and cheered us up. It’s been two months since the workshop started. We are still a small group of about 7 people, but the members are contributing more and more, and we are becoming united as a team.